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2009/08/28

消えてしまうかもしれない政治評論家達【今田】

消えてしまうかもしれない政治評論家達【今田

どの放送局での政治討論番組は大流行である。冷静な判断の元でコメントしている評論家も入れば、お金でも貰っているのかと思われるような評論家もいる。
先を読めずに批判したのか、お金でも貰って批判していたのかわからないが、徹底的に民主党に辛口な評論家達が目立った。
彼らは、政権交代後にテレビから消えるのであろうか、それとも、手の平を返したように、民主党にヨイショするのか、興味あるところです。
民主党を一番汚く罵り続けたのは、間違いなく青山繁晴氏である。彼はどの番組でもチャンピンだが、小泉さんビイキの田原総一郎。財部誠一もどうなるかは見ものである。
TBSの岩見隆夫、福岡政行ご両人は野中弘務の広報マンのようだし、岸井成格も偏った発言が多い。最悪なのは猪瀬直樹、道路公団を批判しながら、元国交省大臣のお父さんのところで、うまく副知事の納まった。彼は間違いなくマッチポンプ偽善者のように見える。
アナウンサーで酷いのは日本テレビ系、辛抱治朗の仕切り方と発言、ウエークアップという番組の中で、おかしな場面が目立った。
また、バンキシャの河上和雄の態度も頂けない。トンでもない嘘番組を報道したことで、全てのスタッフが謝ったにもかかわらず、彼だけは謝らなかった。特捜検事はそんなに偉いのかと言いたい。
ご愛嬌なのは、三宅久之の爺さんとみのもんたさん。まあ、彼らは許される範囲で民主党批判をしていたように思う。
もっとも、公正は政治評論をしていたのは片山善博さん。涌井雅之さん。冷静な司会をしていたのは御厨貴さん。彼らには頭が下がる。
民主党が政権与党となった後の政治番組で彼らが何を話すのかが楽しみだ。逆に、出演できない可能性もあるかもしれない。

2009/08/21

岩剣神社

岩剣城(いわつるぎじょう)は中世城郭。紹隆寺の南西に聳える標高210mの岩剣山頂にあり、山は剣の平(けんのひら)とも呼ばれている。 島津義久、義弘、歳久の初陣の合戦が行われた城として、また、鉄砲が日本史上初めて実戦で使われた城として有名である。薩摩国の国人の一人・祁答院良重が建設したと伝えられるが、築城時期の詳細は不明である。1529年頃との説がある。
 天文年間、祁答院良重は菱刈隆秋、蒲生範清と組んで島津貴久に反旗を翻した。天文23年、菱刈、蒲生連合軍が島津側の武将・肝付兼演の居城である加治木城を攻め、貴久は加治木城を救援するため祁答院良重の住む岩剣城を息子の島津義久、義弘、歳久に攻めさせる。岩剣城は三方を断崖に囲まれた天然の要塞であり、良重もよく籠城して耐えたが、救援に来た蒲生範清が島津側に撃退されると孤立無援となり、最後は籠城した女性が化粧道具を投げてまで応戦したが多勢に無勢は明らかで、ついに良重主従は岩剣城を捨てて本拠のあった祁答院(現薩摩川内市祁答院町)に逃亡し、岩剣城は落城した。残された女性は城の断崖から身投げして自害したという。 この城がなかなか落城しなかったのは、麓の岩剣神社の加護があるからだとして、御神体を白銀坂にある島津氏の本陣に勧請して「戦いに勝利を収めたら、毎年例祭日に神舞を奉納しよう」と願を立てたところ、その夜のうちに城から敵勢が逃亡し落城したとの伝がある。
紹隆寺の開闢開山(最初に立てられたときの住職)心厳良信大和尚は、
1396年生まれ、本寺福昌寺五世、1468年寂。岩剣城の戦いは1554年でした。
おそらく心厳良信さんの孫弟子が実質のご開山でこのいくさの戦死者を祀るためにこの寺を建立したのでしょう。これが怨霊信仰に基づく日本の伝統であり、信心深かった島津も戦に勝つたびに一週間
怨親平等に祀る施餓鬼を執り行い、一寺を建立したようです。そしてあと祀りの為祠堂田を附けて明治にいたるまで菩提を弔ってきたものと思われます。平成十六年岩剣神社が紹隆寺の鎮守さまであることがわかり、一日、十五日の精進日にはお参りを欠かさないようにしている。御神体は看板と違い猿田彦さんで、左奥の祠におられる。正面の社には何か女性の神さんが居られるようです。

責任力

毎日新聞より引用――
11月末に任期切れを迎える国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ事務局長は、米タイム誌(8月17日号)のインタビュー記事で、03年のイラク戦争開戦を「人生で最も不満な瞬間だった。(大量破壊兵器を隠しているという)事実に基づかない作り話を根拠に、数十万人の人々が命を失ったことに身震いした」と打ち明けた。
「間違った判断はあったか」との質問に対し、「私は戦争前に、我々の情報が悪用されないよう、叫び、大声を出して強く阻止すべきだった」と話した。
――引用終わり
一方、ブッシュのポチと揶揄された元首相、フセインの逃亡と核をかけて詭弁を弄し、アメリカのイラク攻撃に加担したが、何の検証も反省もなく、国内ではアメリカの市場経済政策を無条件に受け入れ、格差拡大や経済に疲弊を招き国民に多大な犠牲を強いても、批判を浴びる前にあっさり議員をやめ、今は評論家のような発言で能天気振りを発揮している。
北朝鮮の拉致問題に関し、民主党や社民党への批判を強めているが、去年8月に北朝鮮との事務協議を進める話が出ていたが、9月に福田首相が無責任にも突然政権を投げ出しため見送られ、今に至っている。
これが「責任力」を謳う政党の本質だ。もっとも漢字を読めない総理が、漢字の意味まで知るわけも無いか。

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