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2009/05/04

宇宙は「空」で満たされている

般若心経」を読んでまず素朴にわかることは、そこでは「空の理」と、この世は仮想現実(バーチャル・リアリティ)であるということを教えてくれているということである。
  前半は‥‥(中略)‥‥「この世のすべてが空」だと教えてくれている。後半は「無の作用」(この世は仮想現実のバーチャル)であると語っている。
  いったい何を申し上げたいのかといえば、「般若心経」は「無」と「空」を完全に区別していること。「無」と「空」は異なるのだと、しつこく宇宙の真理を私たちに教えているのである。
  「空」と「無」は異なる! 一見、なんのことはないと思われるこの一文に、じつは現代科学の死角的大盲点が隠されていたのである。
  現代科学(理論)には、「無」と「空」の区別が存在していない。というよりも、「無」と「空」の区別がアイマイのままに放置されてきた。現代科学の認識では「空」と「無」はまったく同じものであり、数学的な表現を借りれば単なる「ゼロ」の存在にすぎない。 しかし「般若心経」は「色即是空」「空即是色」と教えている。
  では、「空」とは具体的に何なのか?
  「般若心経」の「色即是空・空即是色」とは、この世(宇宙)の森羅万象を生じさせている素源(究極)物質こそ「空」(空間=真空)であり、万物は「空間」から生じ、また空間に還っていく。空間こそが万物の母体物質だ! と私たちに教えていたのである。
              ―― 『般若心経は知っていた』(コンノケンイチ・著/徳間書店)http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/tsubuyaki0801-02.html

2009/02/19

小泉・竹中一派の「麻生内閣批判」は薮蛇だろう?

小泉・竹中一派の「麻生内閣批判」は薮蛇だろう?  山崎行太郎メールマガジン
 「郵政民営化見直し」を堂々と公言しはじめた麻生太郎首相、及び麻生内閣への小泉・竹中一派の面々による様々な方法での批判、攻撃が、自分たちが絶体絶命の政治的ピンチに追い込まれつつあるのを実感しているらしく、日増しに激化しているようだが、おそらく、麻生内閣が倒されることがあったとしても、「郵政民営化見直し」、あるいは「かんぽの宿」疑惑追及の手が止むということはありえないだろうから、小泉・竹中一派の面々による麻生内閣への執拗な批判、攻撃は、一時的な気晴らしにはなるだろうが、今や「火だるま」になりつつある小泉・竹中一派にとっては、結局、自分で自分の首を絞めることになるのがオチだろう。ところで、昨日は、ロシア訪問中の小泉純一郎氏が、ロシアで記者会見して、「定額給付金」問題で「国会欠席」の意思を示したようだが、あの記者会見の内容はともかくとして、小泉氏の「顔」と「表情」を見て、やはり小泉氏に余裕がなくなっているということ、つまり「郵政民営化見直し」や「かんぽの宿」疑惑追及で、かなりの窮地に追い詰められつつあることを、誰よりも本人自身が強く実感してるらしいことを、僕は感じた。こういう時、ひそかに警察・司法権力を行使して、政治的な逮捕者を出すのが、つまり「小泉・竹中一派が政治的危機に陥ると政治的大事件が起き、逮捕者が出る…」というのが、小泉・竹中一派が取る、いつもの公式だったが、政治権力を手放してしまった今、小泉・竹中・飯島一派にその力はない。「中川昭一財務相酩酊事件」も、拉致被害者たちの突然の「結婚情報」事件も、あるいは朝日新聞襲撃事件や石井鉱貴代議士暗殺事件等の「犯人登場」も、かなり怪しいが、つまり小泉・竹中・飯島一派の仕掛けによる可能性も否定できないが、それが政局の流れを左右するとは思えない。今や小泉・竹中構造改革への批判勢力は、民主党や国民新党等の野党だけではなく自民党内部にも少なくない。麻生内閣が倒れれば、民主党に変わるだけで、民主党政権になれば、小泉・竹中構造改革への批判が消滅するわけではない。小泉・竹中・飯島一派にとっては、「進むも地獄、退くも地獄…」というわけだが、しかし、そうは言っても、テレビや新聞、政治ジャーナリズムをも巻き込んだ小泉・竹中構造改革一派が、黙ってこのまま引き下がるとも思えないわけで、おそらく見苦しい反論や反撃を繰り返しつつ、そして見るも無残な醜態を晒しながら、敗残兵(落武者?)さながらに逃亡・逮捕されていくことになるのではないか。是非、そうなってもらいたいものだ。というわけで、小泉純一郎氏のロシアでの切迫した「記者会見」を見て、「怒るよりも、笑っちゃった…」のは、たぶん僕だけではあるまい

2009/02/13

隙間ー好き魔

車を運転していますと、すれ違う対向車の運転者の顔が
瞬間ですが見えます。深く考え事をしている人の顔は、直ぐ
に分かります。 本人の霊体が肉体から浮いてしまい
(=浮霊状態)、少しずれた様に重なる2重の輪郭で観える
からです。
この時、本人の心が考えている所に飛んで行ってしまってい
るのです。
・好きな人物の所・今日の予定の仕事先・憎い相手・子供・・
気に成っている事に心が飛んで行ってしまっています。
今すべき事は運転なのですが、心ここに在らず状態です。
この肉体と霊体にずれが生じた隙間に、他の霊体が入り
込む事が可能です。まさに、隙間=魔が好む=好き魔です。
運転中に悪意ある存在が隙間状態の人を見つけると、隙間
から憑依をして肉体に侵入します。
そして運転者の目にふたをして、信号の見落とし、歩行者に
気が付かない、車間距離などを見えなくして事故に誘導し
ます。
車の御祓いなどは無駄な事です。日々生きる運転者自体が
問題だからです。逆に御金を掛けて御祓いをした安心感は
油断の元です。霊学的にも一度の祓い磁気が何年間も有効
する事は有り得ません。だいたい祓い磁気を出せる神官自体
が非常に少ないですし、そんな一時的な磁気よりも生きる
人間が毎日出す好き魔磁気の方が巨大です。

目前の今すべき事以外の考え事をする、ナガラ作業をする人
が多いです。これは癖に成るものです。時間が過ぎるのが
早く感じられ、心地が良く成って行くのです。
しかし、この様な「好き魔」を作り浮霊する人は、疲労し易く
疲れが溜まって行きます。
大切な心のエナジーが漏電する人でもあります。
これでは生きる気力や生命力が落ち、不運を自ら引き寄せ
ます。

どうしても運転中や仕事中に考え事をしてしまう人は、
「生かして頂いて ありがとう御座位ます」と繰り返し、常に
生死の原点に戻る事です。 
何と大袈裟なと思われるでしょう。でも、大事な事なのです。
魔物は人間に「死を忘れさせて」油断させておき、死に導くの
が好きです。その手段には、快楽や欲心、物事への執着心
を利用します。
全ては、いずれ無くなる物だと「思い出す」事が出来れば、
心を痛める悩みはありません。
逆に一瞬一瞬の今を大切にします。
たんたんと他人を苦にせずに生きる事が出来ます。
他人の栄華や悪行が気に成る人は、関心を持っても良い
ですから、在るがままの相手を見て行く事です。
相手の行く末は、その方の内在神が全てを公平に見ています
から、死後は然るべき世界へ連れて行くでしょう。
それよりも、自分の内在神を育てる事が大切です。

生かして頂いて ありがとう御座位ますPict0013

2009/01/30

駒沢大学が重大な危機を迎えている。

駒沢大学が重大な危機を迎えている。駒大は昨年11月、7年間に及ぶデリバティブ(金融派生商品)資産運用で約154億円の巨額損失を計上したが、損失の穴埋めに緊急融資された120億円の返済が今年3月末に迫る中、銀行はいまだ長期融資への転換に応じていないのだ。デリバティブ解約と緊急融資を決断した理事長は解任されたが、辞意を表明していた総長以下、残りの常任理事はなぜか全員留任。総長が理事長代行を兼務するという異常な状態も、有名私大を危機に追い込んでいる。

 駒大が外資系金融機関と資産運用取引を始めたのは2003年1月。当初は7億円の取引からのスタートだったが、昨年後半の世界的金融危機で損失が一気に拡大。昨年10月、当時の宮本延雄理事長が解約を決断した。その後、報道によって一連の損失が明るみに出た12月19日、宮本理事長は責任を負う形で解任された。当時の様子を知る駒大関係者はこう話す。

 「取引開始時から理事を務め、現在も常任理事として大学に残っているのは大谷哲夫総長ただ1人。その大谷総長が学内に居座り、取引時の経緯をまったく知らない宮本氏だけが責任を取らされました。宮本氏はスケープゴートにされたのです」

【総長の代行を銀行認めず】

 駒大OBによると、宮本氏は理事長就任の06年から、投機的資金運用を禁ずる内規に沿って経理課長にデリバティブ解約を指示し続けたが、経理課長は常任理事会の決定事項であることと、“含み損”を理由にこれを無視。損失が154億円に膨らんだ時点で、ようやく解約となった。

 その後、宮本氏は、主要取引銀行に緊急融資を依頼。元巨人軍の中畑清氏も汗を流した名門野球部グラウンドを担保に09年3月末までの短期融資で120億円を調達。大学の自己資金約30億円と合わせて、デリバティブ解約に伴って発生した損失の穴埋めや職員へのボーナス支給などを済ませた。続けて、借入金を長期融資へ移行する段取りを付けていた。

 ところが、移行の実施直前に巨額損失の事実が報道されたことから、宮本氏は解任され大学を去ることになった、という。

 この解任で、代表権のある理事長職は空席に。臨時理事会で大谷総長が理事長代行兼務となったが、「総長による代行を銀行が認めなかった」(前出関係者)ため、長期融資への移行は頓挫している。

 実は宮本氏は、銀行からの借り入れを半分の60億円に抑え、残りを私学振興財団から調達する手だても付けていた。だが、こちらも理事長不在により実行されていない。さらに、この異常事態を受けて、文部科学省の指導も入った。

 「一般的に考えても、理事長空席は一刻も早く解消すべきこと。今年に入り、早期の理事会開催を要請いたしました」(高等教育局私学課参事官)

 駒大は今月30日、理事会で新理事長を選出する予定。無事選出されれば、融資移行などは実行される見通しだが、「駒大は曹洞宗を母体とする仏教系大学。理事長人事には永平寺系と総持寺系の思惑が絡み合い、一筋縄ではいかない」(前出の関係者)といい、事態はまだ流動的だ。

 駒大広報課は夕刊フジの取材に、銀行から融資を受けていることを認めたうえで、「近々開催予定の理事会において、常任理事の扱いについて審議する予定。今後のことは、新理事長が決まり次第、一任する。資金調達については本学の資金計画に基づいて手続きを進めている」と回答している。

【現執行部にOBも距離】

 大谷総長を中心とした現執行部には、OBたちも距離を置いている。野球部の主将だった有力OBに至っては、怒り心頭で次のように語る。

 「大谷氏は以前から野球部長も兼務しているが、05年には35年間で東都大学リーグ501勝という前人未到の記録を打ち立てた太田誠監督を追放した。さらに、夏の甲子園3連覇まであと一歩まで迫った駒大苫小牧高野球部の香田誉士史元監督も一昨年夏に辞任した。現在の野球部の惨状はご存じの通りです」

 全日本大学選手権を6回も制覇した野球部は現在、リーグ2部に降格したまま。駒苫高も昨年、6年連続をかけた夏の甲子園出場を逃している。悪いことは続くもので、同じく名門の陸上部も今年の箱根駅伝で、棄権者がいないにもかかわらずシード落ちという結果となった。

 ■同様に損失を出した他大学の動向

 駒大と同時期に34億円のデリバティブ損失を計上した南山大(名古屋市)は「資金運用は流動的で、3月末決算まで何もお答えできない。決算後に調査委員会を立ち上げる」。28億円損失の愛知大(豊橋市)は「自己資金で返済済み。今後、調査委員会を立ち上げ、責任の所在を調べる」。駒大に匹敵する148億円の立正大(東京・大崎)は「3月末決算まで何もお答えできない。責任者の解任などは特に行っていない」としている。

2009/01/28

小冊子を刊行のことば

紹隆寺が再興されて二十年になるのを記念、小冊子を刊行することになりました。
南九州を平定した島津氏は、戦が終わるとそこで一週間施餓鬼法要を営み、敵味方を問わず戦死された兵士達を弔いました。そして末代まで後祀りができるように寺院を建立し祀堂田を附けて懇ろに弔ったのであります。こうして「薩摩千軒」といわれるほど寺が建てられこの地は六百年に亘り佛教王国が栄えたのです。身内から石屋さまや中央守邦さまがでられて佛法を紹隆されたこともあり、その半数は曹洞宗だったといいます。家に本家、分家があるように、寺にも本寺、末寺があります。私が住職しております佐賀県や福岡、長崎のほとんどの寺が、本寺をさかのぼると薩摩の福昌寺にたどり着きます。また、長崎の皓台寺、博多の明光寺は、谷山氏が懐良親王を祀った皇徳寺が祖本寺です。「島津に馬鹿殿なし」といって名君が続出し王国を守ってきたのですが、最後の最後に馬鹿殿が出て、家訓を破り先祖の六百年続いた功勲を焼き尽くしてしまったのです。「明治の廃佛は佛のみでなく神々をも殺した」と哲学者梅原猛が指摘しています。
高祖大師道元禅師さまのお言葉に―「国家に真実の佛法弘通すれば、諸佛諸天ひまなく衛護するがゆえに、王化太平なり。聖化太平なれば、佛法そのちからを得るなり。」(弁道話)とあります。復興開山丹羽禅師、二世宮崎禅師が當寺の落慶の折に、共に佛天のご加護を祈っておられます。おかげで當寺の鎮守さまとして再び勧請した岩剣さんに「守られているなあ」と思う出来事がたびたびありました。鎮守さまも再びお釈迦様の教えであるお経の声を聞けることを喜んでお返しに私たちを守護して下さっているのです。この後も紹隆寺がみなさまのこころの支えとして護持していけるようみなさまのお力添えをよろしくお願い申し上げます。 合掌

2009/01/27

光福寺寺誌発行ご挨拶

発刊のご挨拶  光福寺住職 宗像良孝
平成六年春、檀家の方々の誠心の象徴である本堂が無事落慶いたしました。与謝野晶子の歌に「むかしよりつくりいとなむ殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ」みんなが心を一つにして「ご先祖さまに車を一台買ってさしあげよう」を合言葉に力を合わせて二百年に一度の大事業を成し遂げることができたのであります。
それから一五年の歳月が過ぎ、本堂再建にご尽力くださった方にも幽明境を異にする方が増えてまいりました。平成に入って動き出した再建事業をはじめ、この寺の歴史などを書きとどめて子孫に伝えたいと総代さんたちの発願で記念誌を発行することになりました。 
 原夫、当寺は佐賀城下の東北の鬼門に当たり、これより北十間堀を挟んで向こうは佐賀郡大財村、愛敬島村と言ったようです。城の鬼門隅に寺を建て諸々の災難がないように祈祷をするために開闢されました。最初に伽藍を建てた中心は功明和尚さまです。元和の頃といいますから徳川二代将軍秀忠の時代です。それから百年後の享保の頃水ケ江宗龍寺一二世規道功達大和尚の弟子、一如功牛大和尚が住職して藩が正式に認める寺「知識処」となりました。その又百年後の天保時代、九世童牛智禅大和尚の時本堂の建て替えをしたようです。その間、お城で何かことある時は、当寺やこの先の清心院で御祈祷をし、願成就した折には色んな佛具がお城から寄進された模様です。昭和五六年秋北海道巡教の折、小樽のお檀家重松さんをお尋ねしたことがありました。この家は代々鍋島の御殿医を務められた御家柄で、明治の維新の折、直正公が今で云う北海道開発庁長官で赴かれるにあたり、先遣隊として渡道されたそうです。結局殿様はみえませんでしたがそのまま小樽に留まりそこで医院を開業されていたのです。その家に立派な蔵が一棟あって、中を拝見しますとお姫様のご病気を治したお礼にいただいた品などが大事に保管されていました。おそらく当寺にもそのような品々が寄進されていたものと思われます。藩政時代は同じく御殿医の松尾家、法術指南の原家、東与賀干拓の辻家、徐福の道案内をした徳永の辻家、麹屋諸石家、横田家、迎家などが主にこの寺を護持してこられたことでしょう。
 明治の維新を迎え、お城からの保護がなくなりました。一四世雲庵琢順大和尚は本尊様の東西に下屋を架け位牌所を増設して檀家を募りました。またこの方はとても御祈祷が上手だったそうで信者がたくさん増えました。昭和の戦前まで七月十四日のお地蔵様のご縁日には参道に露店が出るほどのにぎわいだったと古老たちが言い伝えております。しかし昭和一八年佛海和尚が門司から帰ってきたときは座敷で寝ながら月見ができるような荒れようでした。何とかしたいと思っても戦中戦後の混乱期で普請も思うに任せず、思いを後世に託して昭和四三年に他界してしまいました。それから二十年、平成時代に入りようやく機熟して、ご先祖様にもおほめ頂けるような立派な本堂が栄城の艮(東北)に甍を誇ることができたのであります。生まれた所は別々でもともにご本尊様に見守られ先祖のそばに眠り、生まれ変わり死に変わり幾たびもお釈迦さま、道元禅師の教えをいただき安らかに日暮できるのであります。与謝野晶子に倣って「黄金の釘一つ打つ」善根をお積み下さりありがとうございました

2009/01/20

テレビが消える日

最近の母親は、赤ん坊に話しかけることを忘れ、テレビに子育てさせ、
テレビ脳では、他人との会話ができない、本も読めない子供ができる。


2009年1月18日 日曜日

◆テレビが消える日 2006年11月21日 内田樹

小田嶋さんは「テレビの終焉」をこんなふうに予想している。「W杯に合わせてDVDレコーダーを買った組は、完全にナマのテレビ視聴から撤退している。『いやあ快適快適。ゴールデンのバラエティーとかは、ハードディスクに丸録りしとくと10分で見られるな』『ドラマも倍速でいけるぞ』『ニュースはどうだ?』『報道ステーションなんかは、解説のオヤジの説教をトバせば、30分で見られる』『てか、古舘も要らないだろ』『うん、テロップだけ読めば、10分』・・・。」

その結果どうなるかというと「まず、CMが無効化する。だって、ハードディスク録画の番組を見るときには、CM飛ばしが前提なわけだから。これは非常にヤバい。ただでさえ、リモコンを握って生まれてきた21世紀のテレビ視聴者は、CM入りの瞬間、他局に退避している。ということはつまり、『CMスポンサーによる番組提供』という昭和のテレビを支えてきた黄金の無料視聴システムは既に半ば以上泥沼化しているわけで、この上録画視聴者がCMスキップを徹底していくのだとしたら、地上波民放局の集金システムは、根底から崩壊してしまう。」(223-4頁)

私は小田嶋さんのこの見通しはかなりの確度で事実を言い当てていると思う。ただ、私はこの集金システムは「根底から」ではなく、当面は「部分的にしか」崩壊しないのではないかというやや悲観的な見通しを持っている。たしかに、小田嶋さんの指摘のとおり、テレビCMはすでに末期症状を呈している。

ゴールデンのCMスポンサーの主流はすでにサラ金と薬屋である(深夜ワクになるとエロ本屋やラブホテルもCMを出している)。カタギのメーカーさんはもうテレビCMから退避しつつある。あんな番組にCMを出し続けていたら、企業イメージがダウンするからである。残っているのは「消費者はバカだ」ということを企業活動の前提にしているスポンサーだけである。

うつろな幻想を追う消費者から収奪することを経済活動の根幹にしている企業と、消費者と企業とテレビ局のすべてを騙すことを経済活動の根幹にしている広告代理店と、視聴者をバカにした番組を作れば作るほど視聴率が上がるという経験則から出ることのできないテレビ局の黄金のトライアングル。そこから生み出されるのがどのようなものか、想像しただけでなんだかわくわくしてくる。
少なくとも私はわくわくしてくる。

ふだんテレビを見ない私でさえ「そこまでひどいものなら」思わず見たくなってしまうくらいである。私が見たいのはそれが「スナッフ・フィルム」だからである。あるメディアが死ぬところをリアルタイムで放映してくれるのであるから、これは私だって見たい。だから、「テレビの断末魔」を垂れ流し的に放映したら、視聴率がどんどん上がることになる。

「おい、テレビ、ひどいことになってるぞ」「ほんとかよ?」「おお、見てみろよ、すげーぞ。信じられねーよ、あのひどさ」「わ、見る、見る」というふうになって、視聴率がうなぎのぼり。TV局もスポンサーも歓喜雀躍。「もっとやれ、もっとやれ」ということになる。

その段階で「こんなことしてたら、テレビは終わりですよ」という諫言を述べるようなまともな社員はもうどこにも存在しない。だって、「テレビが終わる」ことからテレビを延命させるというアクロバシーをテレビはもう選択してしまったからである。

「『テレビがもうすぐ終わる』とみんな思っているだろ。みんなその『死の瞬間』を見ようとしてテレビをつける。だから、今日もテレビは生きてられる。オレらの仕事はただできるだけこの断末魔を引き延ばすことだけなんだよ。それで飯が食えるんだから、『らくだ』のかんかん踊りとおんなじだよ」という狡知が今日もテレビを延命させている。

視聴者がこの「死ぬ死ぬと言うだけで、さっぱり死なないメディア」にいつまで面白がってつきあってくれるか、私には予想が立たない。あまり長くは続かなそうな気がする。というのも、『週刊現代』の先週のコラムで高橋源一郎さんが「テレビが消えた」という話を書いていたからである。

半世紀にわたるテレビ視聴を止めて、5年愛用したソニーのテレビを知人に譲り、高橋家はいま「テレビのない生活」に入っている。その理由を高橋さんはこう書いている。「ある日、タカハシさんは、長男と一緒に、ぼんやりとテレビを眺めていた。そして、ちらりと、テレビの画面を見つめている長男の顔つきを見て、愕然としたのである。

長男は床に猫背になって座り、口を半開きにして、顎を突き出し、ぼんやりと澱んだ瞳で、画面を見つめていた。タカハシさんは、長男の名前を呼んだ。反応がない。もう一度、呼んだ。まだ反応がない。そして、三度目、ようやく、長男は、タカハシさんの方を向いた。その瞳には何も映っていないように、タカハシさんには見えた。まるで魂が抜けてしまった人間の表情だった。」(「おじさんは白馬に乗って」第23回「テレビが消えた」、週刊現代11月18日号、65頁)


◆「あるある大事典」騒動、テレビの害毒は「協力金」 2007年2月7日 JANJAN

 デタラメばかりやっているテレビが、「儲かって儲かって……」という状況である。いまの日本は、まったくおかしな社会になっているが、その最たるものがテレビの儲けぶりだろう。

 東京のテレビ局(4大ネットのキー局)に行くと、その建物の大きさ、立派さに驚く。TBS(赤坂)とテレビ朝日(六本木)は以前から同じ場所だが、どんどん増築し、巨大ビル群に膨れあがっている。フジ(産経系)はお台場、日本テレビ(読売系)は汐留(旧国鉄操車場跡)と、巨大再開発地域に移転した。土地買収と社屋の建設に巨費を要する場所だ。

 それほどテレビが儲かるのは理由がある。テレビのコマーシャル料金は、「税金代わり」なのだ。大企業の広告費は電通などの広告代理店が取り仕切っている。代理店は企業に対して「広告費をケチって利益を計上しても、税金で持って行かれるだけじゃないですか。多額納税しても何のメリットもない。広告費は経費として認められますから、税金を払うつもりで支出するのが賢いんです。広告費を出しておくと、いざというときメディアに顔が利くというメリットがあります。何かあったときは、わが社がメディアに圧力をかけます。広告費は危機管理のための必要経費でもあるのです」というセールストークを展開している。

 総広告費をどう配分するのか?テレビは視聴率、新聞は部数をもとに、代理店が方程式をつくっているが、テレビの配分比率が増える一方。だからテレビは、景気低迷と縁のない「好況」を謳歌している。

 いま日本社会が音を立てて崩壊している元凶は、テレビであろう。大人の場合は、いったん身につけた知性を、テレビによって失うから「白痴化」であろう。

 受け身だけで楽しめるのがテレビだ。寄席を考えてみよう。客が全くの無表情だったら、落語家でも何でも、まったくつまらない。講談・浪曲等を含めて、聴衆の盛り上がりによってこそ、感動が得られるのだ。笑ったり泣いたりすることによって、聴衆も芸に参加していると言える。

 演劇も同じことだ。舞台俳優は、いつも客の反応を気にし、盛り上がらないときは、その理由を考えるという。映画になると、観客の反応が演技者に伝わることはない。それでも時間をつくり、切符を買うというのは1つの行動である。それによって映画館という特殊な空間に入り、映画という絵空事の世界に入り込む。

 テレビは、こうした能動をすべて捨てさせる。与えられたものの中から、楽しいものを選ばせるだけなのだ。その瞬間、面白くなければリモコンのボタンを押してチャンネルを変えるだけでいい。こういう生活に慣れきってしまうと、人間は自らの行動によって状況を切り開くことを忘れる。政治の流れを変えるために、投票所に足を運ぶことすらしなくなるのである。

 子どもの育ち方はとくに重要だ。ヒトは他のほ乳類と比べて、胎内での成熟度がきわだって劣っている。他のほ乳類並みの完成度で誕生となるためには、倍の妊娠期間が必要だという。未完成品として生まれる新生児の中でも、とくに劣っているのが大脳皮質の発達であるらしい。その大脳皮質は、母親らとの対話の中で完成する。

 赤ん坊は言葉が分からないのに、母親が語りかけるのは、大脳皮質を育てるための本能なのである。テレビに慣れきった母親は、赤ん坊に話しかけることを忘れ、テレビに子育てさせる。その結果、テレビ番組の楽しさだけにしか反応しない「テレビ脳」ができるという。テレビ脳では、他人との会話ができない、もちろん本も読めないと考えられている。「耐える」などは死語になり、代わりに「キレる」「ムカつく」という「新生語」ができた。人々はすぐにキレて、ナイフなど持ち出す。

 『本が死ぬところ暴力が生まれる――電子メディア時代における人間性の崩壊』(バリー・サンダース著、杉本卓訳、新曜社)という本が刊行されたのは1999年。電子メディアの普及によって、識字による自己形成が喪失したと説くこの本はほとんど話題になっていない。それこそ21世紀日本社会の危機であろう。


(私のコメント)
携帯電話とテレビが子供に及ぼす影響は非常に大きなものですが、その実態に気がつく人はまだ非常に少ない。携帯電話を子供に持たせるべきかという事がニュースになっていますが、子供に携帯電話が必要である理由があるのだろうか? 同じことはテレビにも言えるのですが、テレビや携帯に依存しすぎて脳の発達に大きな影響があるとすれば問題だ。

今日は「テレビ脳」に関して取り上げますが、テレビに子育てをさせる母親が増えてきた事で、携帯を使わないと他人とのコミニケーションが取れない子供が増えてきているようだ。携帯といっても通話ではなくメールでやり取りをして、1日に100通以上ものメールをする子供がいるそうです。

今までテレビの視聴に使われていた時間の他に携帯のメール発信の時間も増えた。さらにインターネットなどに使う時間が増えてテレビの視聴時間は減ってきたというよりも、テレビも見るしインターネットもしてメールの返事書きもしなければならなくなって、12時過ぎまで時間を費やしている。つまりテレビも見てネットもしてメールもするといった忙しい子供が増えたのだろう。

その結果、睡眠時間と読書や勉強の時間が確実に減る。これは大人にも共通している事であり、携帯料金やインターネットに使う費用は5000円から10000円位使うから、それだけ本代は確実に減る。平均的小学生や中学生のお小遣いは1000円から2000円程度ですが、親が子供に携帯を持たせれば5000円はかかるから大きな費用になる。

読売新聞の記事では1ヶ月に1冊も本を読まない若者が半数に及び、1-3冊程度が40%ということで子供の本離れが進んでいる。分かりやすくいえば本代が携帯等の費用に費やされて本離れが進んでいるようだ。私も子供の頃は小遣いが少ないから古本しか買うことが出来なかった。読書も普段から読んでいないと習慣にならない。

このように現代の子供の環境は変わって来て、テレビや携帯などが非常に大きな影響を与えるようになってきて、小中学校の学級崩壊も珍しくはなくなってきた。つまり暴れる子供や切れやすい子供が増えてきたという事が教育現場で問題になってきた。いろいろ原因は考えられるのですが、子供たちの生活環境の変化が影響している事は確かだ。

特にテレビや携帯等の普及は問題だと思うのですが、ある年齢までの子供はテレビや携帯などから隔離するくらいの対策を打たないと子供の一生に関わるような影響をもたらすだろう。私などもテレビ世代なのですが、幼児からテレビを見続けていると「テレビ脳」になって前頭葉が働かなくなり、知的関心が持てない人間が出来上がる。

小さい頃からテレビを見て育った子供は思考能力を失い、テレビが言った事しか頭に入らなくなり、バラエティ番組で納豆がダイエットに効果があると放送すると納豆が売り切れになるほど売れたり、バナナダイエットが放送されるとバナナが売り切れになりスーパーからバナナが消えた事がありました。

JANJANの記事には「あるある大事典」のケースが紹介知れていますが、それくらいテレビに洗脳されやすい人が増えた事を物語っている。ダイエットならネットや本などを買えばいくらでも情報は手に入るのですが、テレビのワイドショーでやるとニュースになるほどの影響を与えている。つまりテレビの情報しか信用しない人が増えて切るのだ。それが「テレビ脳」の恐さだ。

最近では毎日のように麻生内閣の支持率がニュースで発表されていますが、20%を割ったといわれると麻生内閣は支持されていないと言うテレビによって作られた世論が出来上がる。小泉内閣の時は反対に高い支持率が毎日のようにニュースで報道されて9・11総選挙では300議席に迫る大勝利したりする。

実際に小泉政治がそれほど良くて麻生政治がそれほど悪いのかは時間が経たないと分かりませんが、テレビによって作られたムードが政治を左右しているのではないだろうか? 納豆ダイエットやバナナダイエットなどの騒ぎなどを見るとそう考えざるを得ない。

内田樹氏のブログを見ても、子供がテレビに見入って魂が抜けたような子供の様子を紹介した記事を載せていますが、現代人の「無気力」「無関心」「無責任」といった現象は前頭葉が退化して「テレビ脳」になってしまった現代人の原因がそこにあるのではないかと思う。テレビCMはサブリミナル効果や繰り返しといった洗脳手段で商品を買わせていくのですが、テレビショッピングでつい入らない商品を買ってしまったというのも洗脳効果によるものだ。

アメリカの大統領選挙もテレビ広告の威力は絶大であり、テレビCMの量が多いほど効果が上がるのは洗脳効果によるものだ。テレビが支持すれば選挙に勝つというのは民主主義の悪用ともいえるものですが、ネットの普及によってその危険性が明らかになってきて若い人たちにはテレビを見ないと言う人が増えてきた。ネットでニュースも動画も見られるようになり、テレビ放送も録画してCMはカットして見るといった人もいる。

子供に対しても、テレビの見方や携帯の利用の仕方を大人や親が教えてやるべきですが、大人自体がテレビや携帯の利用に仕方を知らないし、テレビの弊害もまだ十分に認識されていない。テレビでしかニュースや情報を受け入れない人が多いからだ。インターネットやメールも利用の仕方もまだ試行錯誤の段階であり、子供にも有害サイトなどの対策も必要だ。

子供の携帯の所持も、携帯がないと友達とのコミニケーションが取れない子供が増えてきた。「テレビ脳」のように「携帯脳」があるのかもしれない。携帯を使って文章などを書いていると定型的な文章しか使わずにこれも前頭葉が退化していくようだ。若年性のボケなども前頭葉が退化することで起きる現象ですが、「テレビ脳」や「携帯脳」が原因になるのかもしれない。

2009/01/16

寄席は盛況

きょうも少々のお時間、お付き合いを願っておきますが、えー、何でも、このところ、ばかに落語の人気が高いんだそうで▼寄席は盛況、落語DVDも売れているとか。あたしなんぞも好きなクチで、ちょいちょい贔屓(ひいき)の噺家(はなしか)さんの会をのぞくんですが、確かに最近は切符を取るのもひと苦労。ブーム到来だ、なんてぇことをおっしゃる方もあります▼これは、立川談春さんの好著『赤めだか』の中で師匠の談志さんが語る話なんですが、あの「忠臣蔵」の赤穂藩には三百人からの家来がいたんだそうですな。ですが、討ち入ったのは四十七人だけ。残りは、師匠に言わすと<逃げちゃった>▼宿願果たした四十七士は拍手喝采(かっさい)を浴びた。でも、と師匠は言うんです。<逃げちゃった奴等はどんなに悪く云われたか考えてごらん。理由の如何を問わずつらい思いをしたはずだ>とね。そしてこう続けます。<落語はね、この逃げちゃった奴等が主人公なんだ>▼決して強い方、立派な方じゃないんですな、落語の目線の向きは。で、主人公は滑ったり転んだりしながら、それでも何とか救われていく。ここいらが今の落語人気の背景かもしれません。何せ弱い方、弱い方へと吹きつける寒風が、やけに厳しいご時世ですから▼この話、サゲはございません。株価、企業の売り上げ、内閣支持率…。「下げ」はもうたくさん、かと。 東京新聞筆洗 090116

2009/01/11

時間という銀行

時間という銀行

2008年12月18日(木)早稲田大学 川崎 真一郎


以前あるところで見つけた素敵なお話です。
少々長いですが、ぜひご一読ください。

次のような銀行があると考えてみましょう。
その銀行は、毎朝あなたの口座に86400ドルを振り込んでくれます。
同時に、その口座の残高は毎日0になります。

つまり、86400ドルの中で、あなたが使いきらなかった金額はすべて消えてしまいます。
あなただったらどうしますか?
もちろん毎日86400ドル全額引き出しますよね。

私たちは一人一人が同じような銀行を持っています。
それは時間です。

毎朝、あなたに86400秒が与えられます。
毎晩、あなたがうまく使いきらなかった時間は消されてしまいます。
それは繰越も、貸越もできません。

毎日、あなたのために新しい口座が開かれます。
そして、毎晩、その残りは燃やされてしまいます。
もしあなたがその日の預金を使いきらなかったら、あなたはそれを失ったことになります。

過去にさかのぼることはできません。
あなたは今日与えられた預金の中から「いま」を生きないといけません。
だから、与えられた時間に最大の投資をしましょう。
そして、そこから健康、幸せ、成功のために最高のものを引き出しましょう。

時計の針は走り続けています。
今日という日に最大限のものを作り出しましょう。

1年の価値を理解するためには、落第した学生に聞いてみるといいでしょう。
1か月の価値を理解するためには、未熟児を生んだ母親に聞いてみるといいでしょう。
1週間の価値を理解するためには、週刊ダイヤモンドの編集者に聞いてみるといいでしょう。
1時間の価値を理解するためには、待ち合わせをしている恋人たちに聞いてみるといいでしょう。
1分の価値を理解するためには、電車をちょうど乗り過ごした人に聞いてみるといいでしょう。
1秒の価値を理解するためには、たった今、事故を避けることができた人に聞いてみるといいでしょう。
10分の1秒の価値を理解するためにはオリンピックで銀メダルに終わってしまった人に聞いてみるといいでしょう。

だから、あなたの持っている一瞬一瞬を大切にしましょう。
そして、あなたはその時を誰か特別な人と過ごしているのだから、十分に大切に使いましょう。
そして、時はだれも待ってくれないことを覚えましょう。

昨日はもう過ぎ去ってしまいました。
明日は、まだわからないのです。
今日は与えられるものです。

だから、英語で「いま」をプレゼント(=present)というのです。

(注:本文中の”素敵な話”の著作権者がいらっしゃいましたら、ご連絡いただけまし
たら著作等を明記させていただきます。編集部)

メンターダイヤモンドから転載
http://www.mentor-diamond.jp/blog/student/

2009/01/07

にほんの里100選が決まる

にほんの里100選が決まる 応募4474件から選出
asahi.com2009年1月6日7時26分配信  

朝日新聞社と森林文化協会は人々の暮らしによって育まれたすこやかで
美しい里を選ぶ「にほんの里100選」を6日発表した。

08年1月から公募。4474件の応募があり、候補地は2千以上にな
った。その候補地の中から「景観」「生物多様性」「人の営み」を基準
に現地調査し、山田洋次監督を委員長とする選定委員会の論議を経て1
00カ所を選んだ。
 
わずか数軒の集落から220平方キロに約7千軒が広がる散居村まで1
00選の里は大小さまざま。人々の暮らしによって育まれてきたぬくも
り漂う空間だ。

深刻な過疎化と高齢化も進む中で「里の営みを持続させようと努力を続
ける元気な里」を未来へ残していくために100選の里を広く紹介して
いく。

テレビ朝日系列では11日から毎週日曜日午後6時56分~7時に「に
ほんの里100選」を放送する。4月には名古屋で選定記念のシンポと
イベントを開催する。(6日付朝日新聞に100カ所を紹介する特集)

【にほんの里100選】(都道府県 里の名称=市町村)
北海道 浜中町(はまなかちょう)
北海道 黒松内町(くろまつないちょう)
青森 福浦(ふくうら)=佐井村
青森 新田(しんでん)=田子町
岩手 山根六郷(やまねろくごう)=久慈市
岩手 上附馬牛(かみつきもうし)・大出(おおいで)=遠野市
岩手 萩荘(はぎしょう)・厳美(げんび)の農村部=一関市
宮城 蕪栗沼(かぶくりぬま)=大崎市
宮城 江島(えのしま)=女川町
秋田 八森(はちもり)=八峰町
秋田 阿仁根子(あにねっこ)=北秋田市
山形 曲川木の根坂(まがりかわきのねざか)=鮭川村
山形 小玉川(こたまがわ)=小国町
福島 猪苗代湖(いなわしろこ)=猪苗代町
福島 中川(なかがわ)=金山町
茨城 持方(もちかた)=常陸太田市
茨城 八郷(やさと)=石岡市
栃木 茂木町(もてぎまち)北部地区
栃木 西下ケ橋(にしさげはし)=宇都宮市
群馬 粕川町室沢(かすかわまちむろさわ)=前橋市
群馬 秋畑那須(あきはたなす)=甘楽町
埼玉 風布(ふうぷ)=寄居町
埼玉 三富新田(さんとめしんでん)=所沢市・三芳町
千葉 結縁寺(けちえんじ)=印西市
千葉 平久里下(へぐりしも)=南房総市
東京 小野路(おのじ)=町田市
神奈川 上山口(かみやまぐち)=葉山町
神奈川 藤野町佐野川(ふじのちょうさのがわ)=相模原市
新潟 片野尾(かたのお)・月布施(つきふせ)・野浦(のうら)=佐
渡市
新潟 松之山(まつのやま)・松代(まつだい)=十日町市
富山 生地(いくじ)=黒部市
富山 砺波平野散居村(となみへいやさんきょそん)=砺波市・南砺市
石川 町野町金蔵(まちのまちかなくら)=輪島市
石川 白峰(しらみね)=白山市
石川 橋立町(はしたてまち)=加賀市
福井 白山(しらやま)・坂口(さかぐち)=越前市
福井 三方五湖(みかたごこ)=若狭町
山梨 牧丘(まきおか)・八幡(やわた)=山梨市
山梨 増富(ますとみ)=北杜市
長野 栄村(さかえむら)
長野 小川村(おがわむら)
長野 遠山郷(とおやまごう)・上村下栗(かみむらしもぐり)=飯田市
長野 根羽村(ねばむら)
岐阜 神岡町山之村(かみおかちょうやまのむら)=飛騨市
静岡 石部(いしぶ)=松崎町
静岡 川根本町(かわねほんちょう)
愛知 川売(かおれ)=新城市
愛知 佐久島(さくしま)=一色町
三重 須賀利町(すがりちょう)=尾鷲市
三重 浅里(あさり)=紀宝町
滋賀 白王(しらおう)・円山(まるやま)=近江八幡市
滋賀 甲南町杉谷新田(こうなんちょうすぎたにしんでん)=甲賀市
京都 伊根湾(いねわん)の舟屋群(ふなやぐん)=伊根町
京都 上世屋(かみせや)=宮津市
京都 越畑(こしはた)・樒原(しきみがはら)=京都市
大阪 長谷(ながたに)=能勢町
大阪 穂谷(ほたに)=枚方市
兵庫 円山川(まるやまがわ)流域=豊岡市
兵庫 黒川(くろかわ)=川西市
奈良 深野(ふかの)=宇陀市
奈良 奥明日香(おくあすか)=明日香村
奈良 桑畑果無(くわはたはてなし)=十津川村
和歌山 天野(あまの)=かつらぎ町
和歌山 口色川(くちいろがわ)=那智勝浦町
鳥取 別所(べっしょ)・国信(くにのぶ)=湯梨浜町
鳥取 西谷新田(にしだにしんでん)=智頭町
島根 西ノ島(にしのしま)=西ノ島町
島根 斐川町(ひかわちょう)
岡山 阿波(あば)=津山市
岡山 真鍋島(まなべしま)=笠岡市
広島 因島重井町(いんのしましげいちょう)=尾道市
広島 八幡湿原(やわたしつげん)=北広島町
山口 祝島(いわいしま)=上関町
山口 米川(よねかわ)東部地区=下松市
山口 徳地串(とくじくし)=山口市
徳島 八重地(やえじ)=上勝町
徳島 大神高開(おおがみたかがい)=吉野川市
香川 中山(なかやま)=小豆島町
愛媛 上畑野川(かみはたのかわ)=久万高原町
愛媛 城川町田穂(しろかわちょうたお)=西予市
愛媛 遊子水荷浦(ゆすみずがうら)=宇和島市
高知 里川(さとかわ)=四万十町
高知 相名(あいな)=馬路村
福岡 和白干潟(わじろひがた)=福岡市
福岡 星野村(ほしのむら)
佐賀 加部島(かべしま)=唐津市
佐賀 湯崎(ゆざき)=白石町
長崎 神代小路(こうじろくうじ)=雲仙市
長崎 豆酘(つつ)=対馬市
長崎 崎山(さきやま)=五島市
熊本 阿蘇(あそ)のカルデラ=阿蘇市
熊本 五和町二江(いつわまちふたえ)=天草市
大分 皿山(さらやま)=日田市
大分 大越(おおこえ)=佐伯市
宮崎 北浦町(きたうらまち)=延岡市
宮崎 都城市(みやこのじょうし)周辺の農村部 
鹿児島 笠沙町大当(かささちょうおおとう)=南さつま市
鹿児島 加計呂麻島(かけろまじま)=瀬戸内町
沖縄 やんばるの森=国頭村
沖縄 久米島(くめじま)=久米島町

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